英語司会と茨木のり子さん

今日は勤め先で、所属チーム主催の英語でのワークショップがあり、almadenや大和などから世界的な研究者サン達が集うなか、自身初の英語での司会をしました。
人前で喋る時はどんだけ準備するかが全てを決しますが今日は用意がいまいちだったこともあり、司会業も駄目だったし話にはついていけないしで、ボツボツでした
研究者として私は実績が無いっすが、コミュニティの中に居る時にそのことをいつも引け目に思ってしまい、縮こまっています。だから正直まだまだ楽しく無い。早く楽しめる様になりたい
そして今日も駄目だった理由をいつもどおりそこに求めました。
しかしそれではいかん
と、
数日前に亡くなった茨木のり子さんの詩「自分の感受性くらい」が思い出されました
大学の学部の同級生のなかやまくんが勝手に自身のサイトに貼っていた詩なのだが、10年前のことでも、今だにキョーレツな印象があったので少し覚えてる。こんな感じ


駄目なことの一切を時代のせいにするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい 自分で守れ
ばかものよ


ある文字の並びが

と成り得る条件とは何か?
を、
やはり学部時代の同期である、波、くんに訊いたことがある
彼は
普遍的であること
と答えてくれました。
茨木さんの詩を、10年経って読んでも、感じさせられることは同じ
今回のワークショップの運営でも、日頃の所為でも、うまくできない理由を他に求めてる間に、先に進めよーっと