立川市のオジイサン

と一日目の朝一緒に歩く。水戸黄門さまのような見事な白ヒゲで、しばしお供させてもらい助さんを気取ってみました。
伺えば、全国の郵便局で金を降ろす行脚中なのだそうで、惜しげも無く通帳を見せて頂いた

めはり寿司

予備知識を持たなかったので、食料を持たなかった
熊野高原神社を過ぎると、行けども行けども人里どころか人にすら会わない。どっかで樵がノコギリってる音が聞こえるだけ。つまり腹が減ります。水も無くなって来た。さすがに13時過ぎてきたあたりから、やべーと思ってきて、大阪元王子辺りでは沢の水を飲みました。美味かった
けっきょく15時過ぎに道の駅に出くわして、梅うどんやめはり寿司、アイスをドカ食べしました

とがの木茶屋 (map)

1日目の宿。
最近JRの車内にもよくこの茶屋近辺で祭っぽいことやってる写真が貼ってあります。抜群に江戸時代な御茶屋さん |
特にお食事はビール以外は17世紀そのまんまか?と思えるdown to earthな内容。その割には印象に残ってるのは秋刀魚とか小持ちの太刀魚とか海魚なのは私の不遜の致すところ。いや、それ自体全く無味で、お万菜で好きに味を付ける茶粥は忘れられません。腹一杯頂いた
ていうか囲炉裏の周りで夕・朝飯を頂くのとかね。素敵でしたさ
部屋の泊まり心地自体は、↓の方に代弁して頂きます


http://countrylife.4t.com/watch12.html
もっともわれわれが泊まったのは、部屋が板一枚で仕切られたような安普請の別棟で、隣の部屋の話し声はそのまま聞こえ、誰かが歩いたり、ドアを閉めると建物中に響き渡り、床が揺れるという信じられないようなひどい宿であったが...
あと、風呂は石鹸一個しかありません

仰木彬氏

絶好調西武を一年だけ御前にひれ伏させた監督さんすね。イチローの名付けばかり有名ですけど。そしてその仰木さんがイチロー選手を抱えても勝てなかったのはヤクルト。90年代最強チームは西武かヤクルトか、て感じになります。西武は1勝2敗 againstヤクルトなので、最強はノムさん古田敦也コンビということで決定!パチパチ
ていうか中辺路の山ん中でメイルも遅れませんがTVはガンガン観れる。思い立ったら吉日で旅に来ていますが、蓋を開けたら中日。まずは1downおめれとう。日シリでの17年ぶりブルー対決を心待ちましょう。2つのブルーは勿論、ドラサンズのプラウドブルーと、ライオンズのポリバケツブルーです!そして落合博光監督対伊東勤監督か。青年監督同士つったら怒られますか

紀伊の水性

熊野に来る前に、陰陽師(ISBN:4592132181)を読んで行ったのですがその中で安倍晴明がしきりに感心していて、「水の中を歩むようだ」とか言ってました
日本名水百選「野中の清水」を引き合いに出すまでもなく、確かに常に水がどこからか染み出、湧き出ている所が多かった
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んで、紀伊山地はどこか他県・他地域の水ガメになってるのかというと、どうなんでしょうか?再び陰陽師を例にとると、晴明や源博雅は都の旱のため、雨乞いに熊野の玉置神社まで来るわけですが、少なくとも熊野地方は紀伊山地の南向き斜面に位置してるんで、川とかを経由して大阪や京都に水を供給する、ってのはあり得ません。したがって、あるとすれば地下水脈ってことになりますね。その辺はどうなってるのかよく判らず
っってゆーか昼までずっと雨。とがの木の若女将が「森の中は雨を直接浴びないから意外と平気ですよー」って言ってたのがその通りでしたがそれでもかなーり濡れた。もうちょい遅い季節だったら寒くてアウトだったね

学ばざる者、生くべからず

山道は静かにそこに在るだけですが、数時間歩いても人が全然居そうもない自然の中にほっぽられてると、知恵ってものの凄さを慮らずを得なくなりますよ、そりゃ
雨も降って来たし、黙って留まってりゃ死ぬな、と普通に感じれる

百年と言わず、千年続くやうに


み熊野の浦の浜木綿(はまゆふ)百重(ももへ)なす心は思へど 直に逢はぬかも
柿本人麻呂 url
平安時代よりも前の人の詩が残ってることを思うと、2日に本宮大社旧社寺で野外ライヴを行うらしいアノ人も、千年級を意識して欲しいものです

展望台から望む本宮大社

本宮まであとわずか数km地点。翌日一青窈さんがライヴされるってことで、リハの曲が聴こえてきました!いよいよ終わりって時に、とても嬉しかった。 |
曲が「一思案」だったってことはもはや偶然では片付かない何かがある

総括

たった2日間の山歩きでしたが、確実に人生観に影響有りでした
汗が服や鞄に染み込むのがヤだったので山歩きが嫌いだったんですが、一人で自然と向き合ってるとなんか都会で色々考えてるのが馬鹿らしくなります
1日目は都会で遭ってる色んなこと、仕事のことや好きな人のこと、親のこととかプレイオフ第一戦のこと等色々やや窮屈に考えましたが、2日目にはもっともっと楽天的にフリーになってた
最大の目的だった山ノ神にはやはり直接はお会いできなかったけど、良い道程でした