おんがくのもくてき

今日は温かくて、でもblueな話を読んでください



或る夫妻は、夫がかつて大学時代には私は佐藤竹善氏よりも好きだナアと思うようなナイスボーカルでした。最近妻が身篭ったのにあたり、胎教としてnat king coleをよくうたってあげてるそうです。先々週川崎で一緒に花見た時何か一緒にうたいたかったが意外とシャイなので周りを気にして何もやらず。
ねえやっぱうたってあげたいわよ私も
本当に

何のために、うたをやってんだろう
と思う。
あのね、
大事な想いを伝えたい人が居て、でもその人にはきちんと伝わっていなかった。伝わってはいて、その方の気に入ってもらえなかっただけ、なのかも知れないけど、私は伝え方が甘過ぎたに違いないと思っています
気持を相手に伝えたいために音楽やってきた
んじゃなくって
カッコ付けたいからやって来た
のかな
表現の訓練じゃなかったのか?
この尊い人に気持を語るためには、あまり音楽を介しはしなかったけど
微妙な繊細な気持ちをどう言語にするか、ってことは確かに大事だけど、
人として、一番大事な時に一番大事なことをハッキリ言えない人間に
なってしまった
みたいだ

今でもまだ間に合う
だから、夫妻のまだお腹の子には、良い子になれよと音を掛けてあげたい。この機を逃したくない

大好きなUAさんが、http://www.earthday-tokyo.org/2005-2/video.html で、想うこと自体も行動だよ、って語ってます。アクション、って丁度彼女が言うところでハクションとクシャミしてしまったのは愛嬌です。。
でも、想うという行動には考えられないほど多くの時間を割いたはず。なのに物理的なアクションが中途半端だったら、想ってないも一緒。そんな泡沫な気持ちじゃなかったのにな
今日書いた内容は、私的度が高過ぎて、でもここのところ四六時中もこのことにしか頭がいかない。webでこういう吐露をし続けることもどーなの、と思うので、しばらくこの日記書くのを控えようと思います