心に決めたこと。

があります。まずは昨日のようぽんさんのコメントにレス:


未だにダンサーには引け目、コンプレックスが消え去ることはないけど、音を心と身体でいっぱいに感じて首を振る、リズムをとる、それだけで十分ダンスミュージックは楽しめるのだなあと知ったし、人それぞれの表現で自分を少しでも解放できればいいんじゃないかなあと思うようになりました
さらに、ダンス及びダンスミュージックが踊れる人だけのものという風潮は偏ってると思うからなんとか変わっていってほしいと思ってます
心の解放。まさに。それが出来さえすれば、魅せる為のダンサーのような動きが出来なくても全然良いんだなー、と私は数年前にスクール行って習い始めてから気付いたつもりです
日本人はそれが下手だ、というつもりは無いです。六本木のクラブ行って外国人さんを観ても、むっちゃ人目を気にしながら踊ってるというか解放でもなんでも無い縛られ加減を見ることができるし第一群れてないと踊らないし。まあ東京はニホンゴ話さない他人にたいして冷たいので、やりにくいからってのはあるんだろうけど、nyやカンヌやハンブルグ等で行った時は多少そのへんは「自由にやってんなあ」と思いやした
でもけっきょく羞恥心ってやっぱり社会で生きてく時のすっごく大きい要素なので、なかなか変わらないとも思います。それに人によって「なぜ身体を動かすか」が違うんだろうから、自分自身の悟りが開けた時点で自分にとってはオッケーなんでしょうな

というわけで、前置きが長くなったけれど、年明けにでもダンス復活します。カポエラで腰を痛めて以来1年間隔が空いちゃったよ。まだ実は力入れた動きすると不安なんですがね。この年齢でストリートダンスを志向することは、私の知る限り全世界的に「おいおい歳考えろよ」的な風潮があると思いますけど、逆に、ハウスやブレイク等のアクロバティックな部類のダンスは今じゃなきゃ出来ん。yogaや大極拳は老いてからでも受け容れてくれるはずだ。ストリートを是非自分のモノにしたい。モノにしなければ多分老いてから相当後悔しちゃうのが見え見えなのです。北京語やC++音楽理論などを学ぶことと、表現の幅を広げるって点では同じことで、しかも身体を動かすって点で即物的に精神の解放にも繋がるのは他と違うところ。
クラブでかっこ良く踊ることが人間の究極の目的になり得るだろうか?否、です。hiphopの歌詞ではclub club in da club clubbinと激しくクラブ住まいを賛美する向きがあるように感じてます。まああれは完全に異人種異文化でのことなので自分に当てはめる必要は無いんだども。とにかく私としては、身体を使って心を解放するってことの気持ち良さを少しは知っちゃってるだけに、より高次のモノを求めてやまないんだなー
というわけで、正直相当恥ずかしい。高校生や専門校生に混じってレッスン受けるのはキ・ツ・イし、同年代の人に、「、、、、エ?」って後ろ指さされるのも耐え難い。それでもやらないと治まらない。温かく見守って頂けると幸です